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コラム2021年10月 事業承継 体験談

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今回のテーマは?

 今回のコラムは、事業承継体験談ということで、私の幼少期から後継者として事業を継ぐまでの過程について、お話したいと思います。まだ32歳で自分の過去を振り返るというのも恥ずかしいものではありますが(笑)これから事業承継を検討されている方や事業承継真只中という方のご参考になるかと思いまして共有させていただきます。

(1)事業承継の第一歩は洗脳から!?
 幼少期の頃、父親はあまり記憶に登場しません(笑)父親は仕事をしていたのかゴルフやゴーカートをしていたのか知りませんが、とりあえずあまり家にはいなかった気がします(笑)なので、中学生頃までは密な関りはありませんでした。ただ、小学生の頃から祖母から「将来はな、会計士を取って外資系の監査法人に行って事務所を継ぐんじょ」と言われていて、一種の洗脳というか刷り込みが自然と行われていたように思います。
 特に覚えているのが、中学生の頃に書かされた進路希望です。上述のように、祖母から「コウニンカイケイシ」「ガイシケイノカンサホウジン」とよく言われていたので、進路希望で書かされた将来の夢には意味もよく分からず、「外”支”系」(外”資”系の誤り)と書いたのをよく覚えています(笑)そんな感じでよく分かってはいませんでしたが、洗脳はされていたので、何の疑いもなく家業を継ぐのだと思っていました。ちなみに、小学校低学年の頃の将来の夢は、たこ焼き屋さんとラーメン屋さん、続いて剣道の先生、そしてなぜか「外資系」という感じです(笑)

(2)自然と生まれた父親とのコミュニケーション
 高校生の頃は、夜遅くに塾から帰宅した後、両親の部屋にあるマッサージ器で身体をほぐしながらお笑い番組を見ることが日課でした。そこに、帰宅した父親が加わり自然とコミュニケーションの場が生まれていました。その場では、ニュース番組の内容について「お前、これはどう思う?」と父親から色々と問われ、私のしどろもどろな回答に「アホなこと言うな」と論破されていたことをよく覚えています(笑)
 特に印象的だったのは、ニュース番組で報道されていた国会の質疑で、野党の方が揚げ足を取っているような質問をしている様子に対し、「何でこんな揚げ足を取るようなことを言うのかな、もっと大事なことに時間を使えばいいのに」と父親に言うと、「確かにそうやな」と認めてくれた上で「だけどこれっていうのは100の内1とか2とか、そういう目立ったところをフォーカスして報道しとるわけや。報道されていない他の98の時間は、大事な法案をちゃんと通したりしとると思うよ」という風に話していて、そのときに父親の視野の広さを感じ、リスペクトの気持ちが生まれたのを覚えています。
 大学に入学後半年くらいは普通の大学生活を送っていましたが、父から「最近は大学1年から公認会計士の勉強して在学中に受かるのも多いらしいよ」と聞いて、軽い気持ちで予備校に通い始めました。平凡な日々がちょっと退屈になっていたのもあって、もう一度燃える目標に向かって戦うのも楽しそうだなと思ったからです。しかし、思いのほか大変で、朝から晩まで勉強漬けの日々を送ることになりました(笑)

 大学卒業後は、「税務の仕事はアクシスに入ってきてから学べるから、大きな会社の『組織』だったり『経営』を見てきたらいいよ」という父親のアドバイスのもと、BIG4と言われる国際的な監査法人グループの1つ「PwC」という税理士法人に就職しました。その後、より「経営」に関与できる経営共創基盤(IGPI)という経営コンサルティング会社に転職しました。その間も、父親は度々東京に遊びに来て、ステーキや焼肉をエサに私を連れ出してくれました。今振り返ると、あまり頻繁に帰省しない私とのコミュニケーションの機会を父親がつくっていくれていたのではないかと思います。そういう機会のおかげで、父親と話すことが沢山ありました。世間の常識としては「子供が帰省して親に会いに行くもの」というのが一般的だと思いますが、実際には子供はめったに帰省しようとしないのが通常だと思います。待っていても機会がないのであれば、親の方から会いに行ってコミュニケーションの場を作るというのは一つの事業承継のあり方だなと思いました。
 そしてIGPIに入社して4年弱ぐらいが経ったころ、父親と一緒に食事をしているときに「アクシスの課題や今後何をやっていくべきかについて、コンサルの人も交えて毎月打合せをする予定だから、広平も参加できるか」と言われ、月1回土曜日打ち合わせに参加するようになりました。

(3)いよいよアクシスの後継者へ!半年間の準備期間
 打ち合わせの場では、コンサルの方から色々なヒアリングを受け、父親の社長としての悩みを始め、今後のアクシスの課題について話し合いを行いました。私はコンサル会社で比較的慣れていたというのもあってアクションプランという形でA3用紙3枚に課題や解決法、方向性等をまとめたプランを作成し、内容の整理を行いました。このアクションプランを整理していく中で、「自分が継いでもできることはありそうだ」という感触を得ることが出来たのは大きいと思います。完璧な経営ができるかどうかは別として、「自分もこれをやらなきゃいけないんだな」という目先の課題やテーマが見えていました。父親は父親で、私が後継者に適しているのか見定める期間だったと思います。この半年間はそれをお互いが確認する「お見合い期間」のようなものでした。
 そういった月1回の打ち合わせを始めてから半年経った頃に、父親から「そろそろうちの会社を見に徳島に来ないか」という話になり、週4日IGPIで働き、週1日アクシスで働くといった二拠点生活を送ることになりました。

(4)アクシスに入るも半年間はイエスマン!?
 そして2019年1月正式にアクシスへ入社しました。当時は前職がコンサル会社ということもあり、課題があればあるほど燃えるので(笑)やる気満々でアクションプランに着手し、業務のやり方の改善等を父親に提案していました。しかし、私が入社した時期が繁忙期にあたる1月だったこともあり、父親からは「今そのやり方を変えようとするのはもうみんなにとって負担でしかないから、やめとけ」「むしろ、繁忙期の業務を一緒にやれ」と一蹴。「変える痛みっていうのは当然どこかで経験するわけじゃないか!今やらないでいつやるんだ!」と反発しましたが、「じゃあ実際に社員の意見を聞いてみよう」となり、ある社員に意見を聞いてみると「とてもとても今やり方変えるのは無理です…」という答えでした。入社したてで現場の状況や気持ちがよく分かっていなかったことを知り、現場を知るという意味でも半年間は父親の言うことに対しイエスマンで行動することにしました。この半年間は社員のみんながどういうモチベーションでどういう動機付けで働いているのかを知ることができましたし、この過程を経ていなければ、好き放題に進めてしまい、社内でも浮いてしまったかもしれません。それほどイエスマンとして働いたこの半年間は貴重でした。そして税理士登録手続きが完了した2019年5月末に代表に就任しました。

代表に就任して以降は、父親もかなり気を付けているのだと思いますが、基本的に私のやり方に任せてくれるようになりました。これも、入社前の「お見合い期間」に、会社の課題や解決方向性について議論して合意形成をしていたので、私が何をやるかも大まかには分かっているので任せやすかった、というのもあると思います。怖いと思いながら勇気を出して口を出さないようにしてくれているんだとも思いますが…(笑)
 私の方も、何も言われなくなると本当に自分で決断しないといけなくなるので、重大な決断の際には、(自分なりの結論は出したうえで)こちらから父親の意見を聞きに行くこともあります。口を出されると反発するのが子供というものですが、こちらから意見を欲しいと思うと素直に聞けるものですね。

あとがき

 今回は、私の生い立ちとともに、事業承継の体験談を書かせて頂きました。事業承継を経験した者として、特に本格的に現場に入る際、後継者はどうしても理屈で考えてしまう傾向にあります。しかし、「合理と情理」要は「理屈と気持ち」の両方のバランスを取らなくてはならないことを痛感しました。この言葉は、私が前職のコンサル会社に勤めていた時に教わったことですが、お客様のところに行って、お客様に納得して動いてもらう・変わってもらうために、正しいことばっかり言っても動いてくれないよ、と。気持ちに訴えかけることや相手の苦しみとか辛さ、思いに共感し、理解することが必要である、ということです。これはお客様に対してはもちろん、共に働く社員の方々に対してもそうだと思います。そういうことに改めて気づかされたことは私にとって大きなことでした。今回の内容は当社のyoutubeでも配信しております!是非、ご覧ください!